比企起業大学・比企起業大学大学院 卒業生インタビューvol.21 比企起業大学23春・大学院7期 藤原あいかさん

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−自己紹介をお願いします! 

生まれは東京都で、育ちは横浜市の海から少し遠い北部のベッドタウンです。

幼少期から喘息があり、走るようなスポーツは苦手。
でも、年に何回か長野にキャンプに行くような家族だったので、自然と触れ合うのは好きでしたね。海より山派です(笑)。

中高が都内で、渋谷の駅に貼られているポスターや広告に憧れ、美大を目指すことを決めます。
父が雑誌の編集者だったこともあり、文字や写真を扱う仕事に自然と惹かれていったという感じですね。美大受験予備校に通い、武蔵野美術大学造形学部の、様々なデザインを広く学べる科で学びました。

学生時代に偶然見つけたアルバイトで、本のレイアウトや装丁を手がけるデザイン事務所に入り、デジタル化過渡期のデザインサポートをしていました。

卒業後は別の印刷会社に就職し、カタログやチラシなどのDTP業務をしていました。
DTP(デスクトップ・パブリッシング)とはデジタル技術を使用して、印刷物や出版物を制作することです。

その頃から長時間労働が当たり前で、熱が出ても締切を守る為に出勤したことも多々ありました。次第に「自分でデザインしたい」という気持ちも芽生え、転職を意識し始めました。

思い立って、大学時代にアルバイトしていた会社に「何でもいいので仕事ありませんか?」と、休憩時間に電話してみたんです。即決で、社長夫人の手伝いをする形で再びデザインサポートをさせてもらえることになりました。

その後、数年で正社員になりました。
こちらも終電、タクシー帰り、会社で椅子を並べて寝たり、東京都庁に反射する朝日を見たことも!
そんな、充実しつつも過酷な日々を送っていました。「働き方を根本的に変えなければならない」そう思い始めた時期でした。

−人生の転機は? 

20代の激務の中、テレビでパラグライダーを見たんです。
飛行機ではなく生身で風を受けて飛ぶのを見て「やってみたい!」と、休日出勤の夜、休憩中に体験予約をし、翌朝にはときがわ町に(笑)。

この頃には喘息と上手く付き合っていく治療薬もあって走る運動も可能になりました。
パラグライダーで出会う仲間は職業も多様で、20代〜70代の面白い人ばかり。人生や考えも多様で、自分自身も豊かな気持ちになりました。夫にも出会いました。

都内の仕事を退職し、普段飛ぶ山が近いこともあり越生に引っ越して、自宅で、大学や医療系の印刷物のデザインをしていました。フリーランスの自己管理はなんとかこなしましたが、やはり過労になることもありました。 

3年前ついに!今のときがわ町に転居。現在は、家庭菜園をしながら、比企起業大学大学院に在籍、今までのスキルを活かした事業に向けて奮闘中です!

−比企起業大学に入学したきっかけは?

ときがわ町役場に行くたびに起業支援施設iofficeの存在が気になっていました。

関根さんの「小さく始めて、大きくせずに、長く続ける」という言葉を知り、これまでの自分のスキルや経験を組み合わせたら、何かできるのではないかと思い、入学を決めました。

−比企起業大学に入って良かったことは?

地元に素敵な知り合いがたくさんできたのはもちろんですが、「入学する」ということで成長への一歩を踏み出したという実感があったんです。

大学院への進学も「まだ早いかな?」と迷いましたが、関根さんに背中を押していただき、進学することにしました。

−今後の展望、やりたいことはありますか?

本の装丁やレイアウト以外にも、「できること」「得意」をかけ合わせて、自分も楽しく、お客様も幸せ、さらに仕事も生み出せる、そんな風に仕事をしていきたいです。

現在、比企起業大学大学院で学びながら、「個人で自伝的な本を作りたい」という方の、本の形づくりをサポートをする事業を進めています。

例えば、「記憶にとどめたい人生のかけら」「遺したい写真や作品」「お店をオープンするまで」など、形として「誰かに遺しておきたい想い」ってあると思うんです。

1冊の本にまとめることで心がホッとするような、そんな本づくりができれば幸いです。
内容や製本仕様によって制作期間が大きく変わります。

お問合わせ、ご相談は[そらとときの本 aikafujiwara@icloud.com]まで、Eメールでお声かけください。

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