比企起業大学・比企起業大学大学院 卒業生インタビューvol.16 比企起業大学21秋・大学院6期 汐中 義樹さん

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−自己紹介をお願いします!

広島市出身の熊谷市在住です。小学校及び特別支援学校教員を経て、現在は、企業の障害者雇用に関するコンサルティング業を行っています。

小さい頃は、兄弟の中でも泣き虫な上に、体が弱くて……。ある時、「壁に穴が開けられるくらい、強くなるんだ!」と、父親に空手の道場に連れて行かれたんです。それで体が強くなったのかは分かりませんが(笑)、今に至るまで空手は続けていますね。一時期は、全国大会に出場していたこともあります。

高校は、広島にある全寮制高校。早く親元を離れて自立したいという気持ちが大きかったんです。とても厳しい学校で、規則を破ったら1時間正座なんてことも。

進路は、子ども好きというのと、教員に興味があったということもあり、教育学部を受験することにしました。

千葉大学に入学が決まり、東京での一人暮らしがスタート。勉強や教職の実習、空手と忙しいながらも充実した日々を送り、そのまま同じ大学の大学院へ進学しました。

卒業後は、東京の公立小学校教諭となりました。足立区や文京区で9年間、東京で勤務していたのですが、その間、美容師の奥さんと出会って結婚。

その後、奥さんが、熊谷で独立することになりまして。私も、今度は埼玉県で教員をしようと、採用試験を再受験しました。それが、今の自分につながるターニングポイントとなったんです!

東京で働いていた時のように、小学校に配属されると思っていたのですが、まさかの特別支援学校へ配属に!今までの経験や知識が通用しないことも多く、また価値観や生徒対応も全く異なり、配属当初は正直戸惑いましたね。

教員をしている中で、一貫して大切にしていたことは「笑い」です。

特別支援学校では、知的障害や肢体不自由など様々な子ども達がいますが、私がアクションをすると、ほっぺが少し動いたり、呼吸に変化があったりと、それぞれのやり方でちゃんと反応してくれるんです。時間がかかる子もいましたが、それが何より嬉しかったですね。

また、生徒の生と死に向き合う場面も多くあり、彼らにとって少しでも「学校で思いっきり笑って楽しく過ごした思い出を残してあげたい」という気持ちが強くありました。

教育現場で、「笑い」を大切にすることに賛否両論ありましたが、退職までその考えが変わることはありませんでした。

そんな中、コロナ禍となり学校生活もガラリと変化。給食も黙食となり、学校からは笑顔が少なくなりました。

そのような学校の状況に「仕方のない」という雰囲気の教育現場……。徐々に疑問を持つようになり、独立を検討するようになりました。

子どもが好きという想いは変わらなかったので、今後は学校という場所に捉われず、障害者支援に携わっていこう!と行動を開始。昨年、教員を退職し、新しくスタートを切ったところです!

−なぜ比企起業大学に入ろうと思ったのですか?

教員を辞めることを考えていた時、起業について調べていたんです。その中で、ときがわ町にときがわカンパニーのオフィスがあることを知りました。

実はその時、別の起業塾を受講していたのですが、理論的な話ばかりで……。

関根さんは、自身も稼いでいる実績もあり、かつ話し方やファシリテーションもとても分かりやすかったので、入学を決めました。

−比企起業大学大学院に入ってよかったことは?

比企起業大学大学院時代は、独立したばかりだったのですが、関根さんには大分絞られましたね(笑)。

でも、そこには愛があって、「愛のムチ」を振るってくれた感じです。もともと負けず嫌いの性格もあってか「悔しい!」「絶対乗り越えてやる!」と自分を奮い立たせてもらいました。

できない自分に出会えたこと、そして乗り越えられる壁を与えてくれたことに感謝しています。

−今後は、どのような活動をしていきたいですか?

今は、障害者雇用の中でも「定着の支援」を中心にしていきたいと考えています。障害者の方がそれぞれの強みを活かしながら、長く勤めてもらうにはどうしたらよいのか?社内で教育や指導に関わる方々のサポートをしています。

また、将来的には、障害者の採用に関しての支援も視野に入れています。この分野は、まだまだ先入観があるのが現状。特別支援学校と企業の繋げ役ともなっていきたいです。

>>汐中義樹さんについてもっと知りたい方は、汐中さんのFacebookへ!

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