私が選んだ町 寄居

●寄居に決めた日

2005年7月1日に、埼玉県大里郡寄居町に引っ越してきました。

私にとっての「プチ田舎」です。

・周囲を囲む里山
・沢蟹もいる川
・湧き水 日本水
・トンボ公園
・荒川 など    http://www.yorii.or.jp/INFA3.html

今住んでいるアパートは、目の前に、畑と山が広がっています。

最初に、不動産に案内され、今の部屋から、
この見晴らしの良さを見たとき、すぐピンと来ました。

「ここだ!ここを、俺の仕事部屋にしよう!」

寄居に引っ越そうと、心の中で決めた日でした。

●田舎暮らし実現に向けて

「田舎暮らしを起業で実現したい!」

そう思いはじめて、色々場所を探しました。

妻の実家、九州 大分。
全く新しい土地、関西。 特に、京都。
富士山の目の前、静岡。

正直、最初は、埼玉県という選択肢はありませんでした。

私の実家は、埼玉県です。(北足立郡吹上町という所です。)
今も、母が住んでいます。

埼玉のことはある程度知っているのですが、自分の中の「田舎」の
イメージとは重なりませんでした。

ところが、実際「田舎探し」をしてみると、様々な問題が発生してきました。

・仕事
・妻
・子供
・親
・物件探し などなど。

○仕事のこと

最初は、「起業するから、なんとかなるべ。東京に通うわけではないし。」
と思っていました。

ただ、実際独立してみると、関東にいるから、東京に近いから、
仕事を頂戴できるというのも現実でした。

「やっぱり関東にいた方がいいのでは・・・」
「全く知らない土地で、独立してやっていけるのか・・・」

不安になる気持ちが大きくなってきました。

○妻のこと

妻は、九州大分の田舎出身です。

とはいっても、20代、30代は、東京近郊で過ごしています。
都会の便利さも実感しています。

特に、子供が出来て、公園仲間など、地域の人脈も出来てきました。
それらを捨てて、全く違う場所に移りすむ。

その不安、恐れを、口に出すようになってきました。

「これから、昼間の時間、どうしよう・・・。近くに公園もなさそうだし」
「買い物とかも、行ける場所が限られるかも」
「今住んでいるところよりも、狭くなるし、荷物入るかしら・・・」

妻の理解・協力が得られないと、田舎暮らしは難しい。
私は、仕事で外に出ますが、家にいるのは、妻です。
なんとか、前向きになってほしい・・・。

○子供のこと

子供が、小さいうちは、いろんなことが起こります。
急な発熱、ひきつげ、けが、など。

前いた町、川越は、そういう意味で、住みやすい町でした。
救急病院も近くにあり、対応もよく、4度ほど、助けてもらったことが
あります。

公園仲間の子供達など、同い年の子達も、多くいます。
私たち30代の親が楽しめるショッピングセンターも近くにあります。

田舎に行って、近くに子供はいるのか?
幼稚園はどうか?
小学校とかは、どうなのか?

小児科対応ができる病院が少ないのでは?

子供の遊び場、公園とかが少ないかも。
いくら自然のそばで育てたいといっても、
川でおぼれたり、山から落ちたりしたら、怖いぞ。

本当に、田舎に行くことが、子供にとって良いことなのか・・・
悩んだ時期もありました。

○親のこと

父は、59歳で癌で亡くなりました。
私が、独立するきっかけでもありました。

お墓は、埼玉県にあります。

母は、埼玉の実家に住んでいます。
父が亡くなってから、犬を飼い始めました。

私が「関東を離れて、田舎に住むかも」と言ったときは、
「そう・・・」と言っていました。

○物件のこと

実際に、住む家を探そうとすると、意外と情報が手に入りませんでした。

「ネットで探せば、なんとかなるべー。」
ぐらいに考えていたのが、甘かったです。

ネットで調べると、ほとんど物件情報は出ていません。
良い物件は、実際に不動産を回らないと、でてきません。
特に賃貸の場合。

しかし、実際に不動産を回るとなると、あまり遠いエリアでは行けません。

つまり、この時点で、九州や関西は、物件探しが難しいという現実に
ぶち当たりました。

●山形の人との出会い

そんな中、引越し先も決まらないまま、
ある意味「えいや!」で独立しました。

独立して最初の仕事は、山形県出身の松田充弘さんとの
ジョイントセミナーでした。

きっかけは、独立する前から、色々お世話になっていた
京都の中西さんからの話でした。

「関根さん、独立して今後の足がかりになるかもしれないから、
今回の仕事やってみなよ。」

(中西さん、本当にありがとうございました。)

松田さんとは、セミナーがきっかけで、メールのやり取りを
するようになりました。

やり取りの中で
「関根さん、田舎に行きたいなら、東京にいる山形県人が集まる
飲み会があるから、参加してみたら。 参考になるかもよ。」
と、松田さんから誘われました。

この「ヤマガタな飲み会」で感じたのは、
「皆、自分のふるさとである山形を愛している」ということです。

逆に、自分を振り返りました。

「俺は、こんなに自分の故郷を大事に考えていたか?」
「生まれ育った埼玉という場所に、愛着がないのか?」
「東京のそば、というだけで、田舎候補からはずしていたのでは?」

この出会いがきっかけで、「地元 埼玉」に目が向くようになりました。

実際「田舎候補」として埼玉を見ると、魅力的な土地が多くあります。

・秩父
・長瀞
・皆野
・小川
・寄居

私にとっての「田舎」は、「山と川」です。
これは、妻も一緒です。
私たちは、「海」派ではなかったようです。

「山と川」なら、埼玉にはあります。

その頃住んでいた川越から、秩父、長瀞、皆野、寄居、小川、と
不動産屋回りをしました。

「ここ!いい!」と思う物件は、先にとられていたり、
なかなか決められませんでした。

仕事の方も「エリアが決まれば集中できる。」という思い込みもあり、
「早く活動の拠点を決めなくては・・・」というあせりも生まれてきます。

そんな中、出会ったのが、寄居町のアパートです。

●何故、寄居を選んだのか?

妻の希望は、3DK以上、こぎれいな作り、車の通りが激しくない場所。
私の希望は、賃貸。間取りは、妻の希望を優先。自然のそば。

これらを満たす物件は、なかなか見つかりませんでした。

私がよさそうと思っても、汲取り便所だったり、周囲が荒れ果てていたり、
なかなか二人の希望に合致する物件はありませんでした。

そんな中、寄居の不動産屋さんから、連絡があり、今のアパートを
すすめられました。

実は、寄居には、縁があったようです。

子供の頃は、父と母に連れられて、寄居町波久礼に、サワガニとりに
来ていました。
祖母の米寿(88歳)のお祝いに、寄居の旅館に泊まりに来ています。
会社の仕事でも、車で寄居にはよく来ていました。

そして、実際のアパートの部屋に入ってから、ピンと来たのは、
上述の通りです。

妻と相談し、最終的に寄居に決めました。
引越し業者を決め、いざ引越しです。

●引っ越してきました! 2005年7月1日

○アパートの前

2階建てアパートの一階です。2階には、娘と同じくらいの男の子が
住んでいました。良かったです。

○仕事部屋からの風景

この部屋は、とても気に入っています。
風通しもよく、仕事をしていて気持ちのよい部屋です。
西向きなので、夕方の西日はきついのですが、夕日がきれいに見えます。

○仕事部屋から、娘を連れ出す

これからは「仕事中は邪魔しない」ということを覚えてくれると
いいのですが。

○近くを散歩

仕事部屋のすぐ前の道です。車の通りが少なく、
よく犬の散歩をしている人とすれ違います。

○妻と娘

許可が出たので、初めて妻の写真を載せました。
(とはいっても、これだと顔がわからないのですが。)

○帰ってくる妻と娘

○元気に育てよ

「ここで、子供を育てよう。」

自分が住む町を好きになる。自分が住む町を大事に思う。
今までの自分にはあまり無かった感覚なのかもしれません。

都会に通勤し、朝早く家を出て、駅までの道を急ぐ。
駅そばの道を、ほうきで掃いたり、タバコの吸殻を拾っている地域の方々。
スーツで急ぐ自分に、何か後ろめたさを感じながら、挨拶も出来ない。
帰りは夜遅く。土日ぐらいしか、家の近辺にいない。

そういう生活をしていた頃は、地域に対する思い入れは、
殆どありませんでした。

今回「この場所を、仕事と生活の拠点にしよう!」と考えたとき
地域との接し方が変わってきました。

これから、自分で選んだこの町で、楽しくやっていきます。
私の田舎探しを応援してくださった皆さん、本当にありがとうございました。

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